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奈良県民だったのか・・・!

こんにちは!株式会社HGCホールディングス代表取締役の萩原です。

なぜか、なぜこの本に辿り着いたのか自分でも分からないのですけれども、この本を読みました。

東大理三に3男1女を合格させた母親が教える 東大に入るお金と時間の使い方

いやー、えぐかった。すごかった。一番引っかかったのが、著者の佐藤さんの息子さん(三人)と娘さん(1人)が東大理Ⅲ(東大医学部)に行ってるという話はなんとなく聞いたことがあったんですね。ただ、まさか彼らが奈良県民で、息子さんは三人とも奈良から灘中灘高に行っていたとは思わなかった・・・!

これを読んで頂いてる方がどこにお住まいかは分からないですけど、灘中って、「兵庫県神戸市東灘区」にあるんですよ。神戸大学の近くにあります。で、奈良って僕の故郷ですけど、僕って神戸大学に行ってる時、最初の半年は通ったんですけど、あまりにしんどいので下宿したんですよね。要はそれぐらい遠いんですよ。片道一時間半から2時間かかります。大学生の自分でも通うのが嫌になるぐらい。

それをですよ。三人の息子全員、奈良から灘中灘高に行かせたっていうのは、もう神の所業だなと。奈良にも進学校はありますから。東大寺とか西大和とか。そこでええやんか?と思いそうなんですけど、三人が三人とも灘に行ったってのはすごいな〜と。12歳の小さな子供に2時間弱の道のりを毎日往復させ、それをサポートして、東大理Ⅲに合格するところまで持って行くって尋常じゃないなと。

ただ、読みながら僕は息苦しい悔恨の念に苛まれていました。

というのも、僕の父親は僕(と妹)の教育に全ての労力と資金を向けていたと言っても過言ではないぐらい、子供にかけていました。本人が大病を患っていたので、長生きできないことを悟っていたからだとも思いますが、それを差し引いいても、その熱意たるや並大抵ではなかった。それを思い出していました。

萩原家って実は祖父の時代は、神戸で会社をやっていたんですね。しかし会社は倒産。祖父や父たちは倒産後はそれはそれは困窮した暮らしを送り、父は4兄妹だったんですが、男性陣は会社員に。女性陣は堅い職業をされている方のところに嫁いでいった。

その経験から「子供たちは学歴をつけさせて、大企業に入れよう!商売の道にいたことは忘れよう。」ということになり、父は僕と妹の教育に全てをかけた。結果として二人とも国公立大学に入り、金融系の日本を代表する会社に入った。ま、二人とも金融会社に合うような人間ではなかったので笑 その後、お互い個人事業主の時代を経て、今は一緒に会社をやっています。そもそも祖父は経営者だった訳で、祖父や父が無念の倒産を遂げた地に戻り、そこで50年前やっていたように、会社をやっている。これが萩原家のストーリーなんですね。誰も興味ないと思いますけど、要は我々がやってることって、祖父や父の無念を晴らし、お家再興(?)の一環でもあったのですね。

ただ、面白いのが、僕はお家再興的なことは全く考えておらず、お客様や周りが豊かになればいいな。人の可能性を100%引き出してあげられる会社にしたいなという想いだけでここまできたんですが、気づいたらお家再興の結果になっていました。そう思うと、導かれて今の状態になっているのかもしれませんね。

話題を変えます。

今回この本を読んでハッとさせられたのが「俺は、親父がやってくれたぐらい、娘や息子のために全力をかけているだろうか」ということです。かけてないです。とても父の熱意には勝てっこない。それぐらいの差が現時点であることに気づかされました。

と同時に恥ずかしくなりまして。今の生活があるのは、父が家を買うことも諦め、自分の趣味も捨て、全てを僕にかけてくれたから成立しているのに、その自分はそれと同じことを子供達にやっていないことが、とても恥ずかしくて。なんだかんだ自分のことばっか考えていたのではないかと。

という訳で「このままの状態ではダメだ!」ということで、子供のためにやれることは全てやるぞ!という決意をしました。今までは「今の自分の余力でやれる範囲で、全てをやる」という方針だったのですが、言うてる間に子供は家を出て行く訳ですから、そんな保険をかけたスタンスではなく、やれることは全てやる!と決めました。

なんの決意表明なのか分かりませんが笑 それでは!